私と落語

私は落語が大好きである。

途中から聞いても一分ほどで演目がわかる出し物は100くらいはあるでしょう。
どこが楽しく面白いかといえば次のようなところである。

落語は一人で何役も演じる一人話芸である。
その噺家の演じる場面を想像して情景を作り、登場人物も自分で好きなようにイメージして、見たり聞いたりすると実に面白いです。

聞いたり見たりしている人はすべて違う状況設定だと思います。
登場人物は、熊さん・八ッさん・人柄の好いのがじんべいさん。女中はおキヨさん。
少し頼りないのが余太郎さん。それに大家さんにご隠居さん。旦那さんやおかみさん。
ノリ屋の婆さんなどはあえて名前がわかりません。

人情噺、芝居噺などでも話題の中心になる数人しか名前は出て来ません。
右を向いて喋れば立場の上の人で、左を向いて喋れば立場の下の人でしょう。

この人たちが日常生活の中で起こす滑稽な噺だったり、泣き笑いの噺が多いのです。
なる程とか、そんなバカなと思われる噺が多いのです。

私は、落語で江戸時代から明治初期の庶民の生活・風習・職業・地理など沢山学んだのです。

例えば、武士と庶民(農工商)の身分差の大きいこと、そして金銭感覚の大きな違いです。
そのほかにも、リサイクルシステムがしっかりして無駄なゴミや廃棄物が少なかったこと。
働いている女性は少ないこと、長屋の飲料水は現代の水道とは違いますが、井戸があるのに買って使っていたこと。
文化流行の発信地ではないかと思われる吉原遊郭の事などです。

江戸は圧倒的に地方から出てきた職人・武士・商家の従業員と男性の多い街であった。
武士に対する見方や考え方・恋愛・結婚・性風俗の考え方も現代とは大きな違いがあったのでしょう。

そんな時代に起きた様々なことが落語の中に残っているのです。
そして噺の最後に、オチがあるのが落語です。

オチが結末ではなく、その後に起きるであろう事は視聴者の自由な想像に任して話が終わっているように感じる演目もあります。

悪い人は登場しませんが、泥棒の噺はたくさんあります。

しかし、立派(?)な泥棒は出て来ません。
熊さんも八ッさんもみんな憎めない人ばかりなのです。

噺家のしぐさや表情を見ながら見たり考えたりするのも面白いのですが、一番面白いのは寄席に出かけ、生の漫才や曲芸、紙切り、更に前座、二つ目のあまり上手でない話を聞くのも一興です。
トリで出てくる看板噺家はやはり巧みでしっかりした話芸で耳を傾けさせる芸だと思います。

まだまだ勉強させられたり今の世でも見習うこと、うらやましいことなど沢山ありますが、次の機会に記してみようと思っています。

世界を見渡せば、戦争の話ばかりで国内では政治家の裏金、キックバックとかパワハラ・セクハラ・振り込めサギ・認証偽装などイヤなニュースばかりが聞こえてきます。

冷たい北風が吹き始めた師走ですが、元気でココロの温まる新年をお迎えください。

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